Diary 2008. 8
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8月5日 (火)  雨に濡れたハイヒール

夕暮れ小雨のなか人家も見えない山沿いの寂しい道を私は軽トラで走つていました。 この道は初めて通る道なので見える風景には飽きが来ません。  しとしとと降る小雨の向こうにこんもりとした「黒い森」が見えて来ました。  雑木林と森の違いとは私の感覚では木々の間が透けて見える感確か、終わりが無く、
何所までも続いているのかが想像できないほどの深さを感じるかと言つたところでしょうか。
まもなく「黒い森」に軽トラが差し掛かると道端に一瞬視界の中に黒く小さな動物の様なものが入つてきました。 何か違和感を感じ車を降り何か確かめに行きました。 すると動物に見えたものは「黒いハイヒール」だつたのです。  それも片方だけなのです。 どう見ても捨てたようには見えないのです。 靴先を森にきちんと向け、丁寧に置いているように見えました。  日も暮れ始め小雨も降り続くなか、濡れて黒く光る片方だけのハイヒール。


8月10日 (日)  物置の中にも歴史が。

振り返ると26〜27年ほどまえになるでしょうか。
私が帯広市内の工務店に勤めていた頃の出来事です。   或る仕事で大工さんが20名ほど必要な仕事が有り、社長が大工さんを苦労して集め、2カ月程の工事を無事に終えました。 社長は現場の打ち上げに現場で「焼肉」をする事にしたので
「久慈君、鉄工所にドラム缶を持つて行つて二つに切り、上に金網を載せ、足を溶接してもらつてきてくれ」と私が頼まれ「はい、はい」と近くの鉄工所の親父さんの所に行き頼んできました。  ここは親父さんと若いお兄ちゃんなど3人ほどの小さな所帯でした。 何日かしてドラム缶を受け取りに行き、現場での「焼肉」も安上がりに終わつた事に喜んでいた社長の顔を思い出します。
ここまでの話を聞くと誰も「あ、そう」で終わりますね。  このブログを読まれている方の物置の中に「家庭用の焼肉コンロ」ありませんか?  木炭で焼く「焼肉」の味を家庭の中に持ち込むきつかけは「安くあげたい社長の熱意」から生まれたのです。 この当時家庭での焼肉はカートリツジタイプの小型ガスコンロが一般的でした。   現場での「焼肉」は終わつたのですが、何と親父さんの小さな鉄工所では試作品を作る度に「焼肉」・・・「焼肉」と書いてありますが、この当時「ジンギスカン」としか言いませんでしたが。 を食べ続けていたのです。 私も1度試食させてもらつた事がありました。 親父さんはドラム缶をヒントに携帯用木炭コンロを試作していたのです。 半年も経たずに製品として完成し、売り先のあても無く小型と中型の2種類をかなりの台数を作り作業場に積みあげていました。 知り合いに売つた数は20台程度に留まつていたように思いました。 コンロの出来はかなり良く出来ていました。 そのような訳で鳴かず飛ばずが続いているある時、「久慈君、何所か売り先紹介してくれや」となつたのです。 私は先見の明が無い方なので家計用コンロと時代の空気がここまで混ぜ合わさる様になるとは思いませんでした。 
丁度私の同級生に中堅商社に勤める友人がいて声をかけてみました。 彼の会社は食品が主体なので金物に強いとこ紹介するわと言う事になり、間もなく担当者が鉄工所にやつて来てしばらくコンロを見ていて「製作したコンロを全て買い取りましょう」と、トントン拍子でそれからコンロは売れに売れ続けました。 親父さんはよく、自分では作れない小さな部品でも新潟にはあらゆる製品をつくる工場がたくさんあると驚いていました。 
親父さんは携帯用コンロの「特許」も苦労して申請していました。 想像ですが3人の手作業で1月の製作台数は300台が限界だつたように思います。 それから3年ほどが過ぎるとホームセンターにプレス加工で量産されたコンロがかなり値を下げて並びはじめたのです。 親父さんのコンロはそれから2年後にほぼ製作されなくなつた事を思い出します。 ローテクで生き残る事はなかなか難しいのですね。             もしも「家庭用コンロ博物館」があつたなら入口を入り、1番最初に置かれているコンロは「親父さんのコンロ」なのです。
発生地「帯広市稲田町」と・・・。


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